家康公に学ぶ持続可能社会 わが国には、争いが無く社会的資産の浪費を抑えながら経済・文化の発展が続いた時代があった。徳川家康公が開き、慶喜公まで15代265年続いた江戸時代だ。限られた資源を効率よく再利用しながら安定的な経済成長を維持し、独自の文化を発展させた循環型社会「江戸」。大御所として江戸時代の骨格を築いた家康公の諸施策には、現代の日本社会が目指すべき「持続可能社会」実現へのヒントが数多く含まれている。日本の戦国時代の争いは、大陸戦争の皆殺しと違い、武家と武家の戦争で、農民や商人を殺傷する事はなかった。自分の領地の繁栄を目指しているので、勝利したら繁栄の基礎となる人を大切にしたと思われる。日本の文化は「善意の文化」である。これは日本列島の島国という位置関係と「八百万の神」「自然=人間」という共生の信念から来ており、世界的にも特異であり、日本の針路のファクターとなりうる。江戸時代は250年間、戦争が無く、1,200万だった人口が100年で3,000万に増加した。増える人口に対応して、大々的な治水工事が盛んになり、田畑を倍増していった。華やかなりし元禄文化のなかで、徳川吉宗公が第8代将軍となり、「質素倹約」を自ら実践しましたが、その頃の最大の抵抗勢力は言うまでもなく「大奥」だったと思います。この時代に「飛鳥山公園」を整備し、桜を植えて「花見」の風習を始めたのも吉宗公だと言われております。この当時の娯楽という記録を見てみますと「学問・花見・祭礼・寄席・芝居・俳句・川柳・朝顔」と町民がお金を掛けずに楽しめるものが綴られております。寺子屋のおかげで、識字率の高い町民文化が花開きました。日本も争いの終わった第二次世界大戦後にベビーブームが起こり、人口が倍増していきました。少子化の傾向が出てきた現在は、吉宗公のように環境に負荷をかけない生活が大切ではないかと講演いたしました。